
ヴエーダ哲学とは
自己認識について語る哲学
この宇宙に関するすべての知識は、2つの部分に分けることができます。
それは目に見えない知識と、「自己」に関する知識です。
この知識は、まず「ヴェーダ」の中に見出されました。ヴェーダはサンスクリット語で書かれた知識に関する哲学的聖典です。
(宗教的な経典ではありません)
ヴェーダには、リク、ヤジュル、サーマー、アタルヴァナという4つの主となるヴェーダと、アーユルヴェーダ、ダヌルヴェーダ、スータパティヤ、ガーンダルヴァという4つの副ヴェーダがあります。
これらのヴェーダは、人間が行うべき行為や守るべき美徳について語るヴェーダ・プルヴァと、「自己認識」について語るヴェーダンタに分けられています。
ヴェーダやヴェーダンタは宗教ではありません。
冒頭に書いた通り、目に見えない知識と、「自己」に関する知識です。
誰かを教祖としたり、何かに信仰を持つということではありません。
ヒンドゥー教はヴェーダから知識を得て、それに従っていますが宗教として成り立っています。
しかしヴェーダそのものではありません。
世界のすべての宗教はヴェーダよりずっと後に生まれ、その知識はヴェーダと何らかの形でつながっているのです。
ヴェーダンタは、自己認識について語る哲学なのです。

インドの伝統的な6つの主要な哲学の学派
サンキャ、ヨーガ、ニャーヤ、ヴァイシェシカ、プルヴァ・ミマムサ、ウタラ・ミマムサ/ヴェーダンタです。
人間が「自己認識」を得るのは、ヴェーダンタを通して、とされています。
自己認識とは、「アートマン=私自身」と「ブラフマン=至高の意識」との一体性に関する知識です。
人間は基本的に無垢で純粋な存在ですが、この宇宙の物や人に執着しているため、
そこに苦しみが生まれます。
人は自分が苦しんでいると思い込んでいたり、自分の持っているものに満足しておらず、不安で、不完全で、悲しくて、不幸せで、望まれないと感じています。
もちろん望みが叶った時は幸せだし、満ち足りていたり、得意の絶頂だったりする時もあるでしょう。
しかし、人の持つ欲望には終わりがなく、それは徐々に破壊的で有害なことをし始めるのです。
もしあなたがそんな一喜一憂の日々であっても、禍福は糾える縄の如しだし、人生悲喜こもごもだから、と諦めることはありません。
本当の自分自身との出会い
正しいヴェーダンタの知識を得るようになれば、人は本来、
『絶対的な幸福』
を得ることができることを知ります。
それがヴェーダンタの教える「目に見えない知識」と「自己認識」です。
ヴェーダンタにおけるグル(導師)/アチャリヤ(教師)は、
あなたが安全であり、しかも完全で、幸せな人間であることを説明します。
人の持つ苦しみは、ただその人の執着からくるものであり、そのことに無知だからです。
ヴェーダンタは、あらゆる方法で、幼い子供の面倒を見る母親のように、あなたを無条件に愛し、導き、教え、世の中に立ち向かう準備をさせます。
あなたを特別な存在にし、必要とされていると感じさせ、大胆で礼儀正しく、成熟した存在にし、あなたを内側から強くしてくれます。
あなたはもともと永遠で、純粋で、賢明で、自由なのです。
ヴェーダンタは、本当の自分自身を見るための洞察を与えてくれる知識なのです。